西浦和から北朝霞まで歩く
仕事帰り、いつもだいたいPM 5:30か、6:00くらいなんだけども、まだ結構明るいし、だいぶ涼しくもなってきたので、駅to駅ウォークを楽しむことにした。
昔から散歩したり、プチ放浪したりするのが結構好きなのだ。去年の今頃は一人で秋の遠足に出かけたりした。職業訓練中は、通学に使っていた西武新宿線をぶらり途中下車の旅と洒落込んでいた。
名所旧跡や観光地を楽しむというより、その町、その町で暮らす、息づく四囲の人々の生活を眺めるのが好きなのだ。下手すると“のぞき”だが・・・ 良く言って人間観察が趣味なのだ・・・ 良く言えてるのかどうか疑問だが・・・
と、いうささやかなオリエンテーリング気分が通用したのは、“東京”だからだということを思い知らされた1日だった。東京はどこから、どこへ行っても、人が生活している。アスファルトで舗装されている。どこへ行くのも便利なように道が作られている。
最近の趣味でスロージョギングとかも結構やるのだが、東京は目クラ滅法、どこへ向かって走っていても、暫くすれば、市民の憩いの場的なんとか公園に行き着く。どこへ向かって走っていても、暫くすれば、なになに線の駅に行き着く。疲れたら電車で帰ってくれば良いのだ。
一方、ダ埼玉県はそんな甘い考えは通用しなかった・・・ そりゃ、東京以外と比べれば圧倒的に都会なんだろうが、結構濃い目の自然が残っている。まず、田んぼ、東京じゃほとんど見かけない。あと、コウモリ。東京じゃほとんど飛んでない。
まず、最初の壁は荒川。
荒川の橋を歩いて渡るだけで30分くらいかかった。ありえない広さだ・・・ たぶん、多摩川の倍くらいはある。そもそも、歩いて荒川を越えようとする人なんて、私以外に誰もいなかった。橋の上から川をのぞき込むだけで、おしりがキューっとなる。思いっきり高いのだ。下まで30mくらいはある。さすがの、どでかさだ。“荒川”って名付けられたくらいだから、昔は結構、荒れ川で、大雨のたびに氾濫して、人も亡くなったんだろうな・・・ で、やっとこさ川を越えられたことを記念して、川越って地名ができたんだろう・・・・ 川の口だから川口って地名ができたんだろう・・・
もう日もどっぷり暮れて、真っ暗になりかけた頃、なんだか巨大な工場地帯、採石所のようなところの中を迷い込んでいた。鬼蝙蝠が跳梁跋扈し、次第に道路は舗装されてない砂利道となり、ところどころに大きな水たまりができていた。道を行き交う人は人っ子一人おらず、時折巨大なダンプが猛スピードで轟音を立てて行き過ぎるのみ・・・ 時には、うち捨てられた感の寂れた巨大な重機がいい雰囲気を醸し出す。ラピュタの上で死んでたロボみたいな感じだ・・・ あんまり淋しいので小声で“15の夜”を口ずさんでいた・・・
工場地帯を抜けたと思ったら、荒川の支流である“新河岸川”に行く手を遮られる。川の両岸はまるで鬱蒼としたジャングルである。土手に上がって川沿い道を歩いていたが、なかなか橋が見あたらない・・・ 人っ子一人見あたらない。都会の感覚では、川ってもんは、犬の散歩をさせる場所ではなかったのか・・・ 土手沿いの道は生い茂った雑草でモフモフとしており、ずいぶんと長い間その上を人が歩いてないであろうことを物語る。恐ろしく上流まで遡らせた。
ずいぶんと歩いて、ようやく橋を見つけた。すると、橋のたもとで中学生くらいの少年達が釣りをしていた。もう夜だろ、勉強しろよ。夜釣りしているのか・・・? 田舎の学生かよ! 川を越えて、そこからまたずいぶん歩いてようやく駅にたどりついたが、かれこれ一駅分歩っただけなのに2時間くらいかかってしまった。距離にして20kmは歩いたんじゃないだろうか・・・ 夏服とはいえ、スーツに革靴を履いてたので、それも辛い。道を調べて行ったわけじゃなく、行き当たりばったりの旅だったので、迷ったり、道を引き返したり、ゲーセンに寄ったり(※)、結構遠回りもしてしまったようだ。あー疲れた。今夜はビールが美味い。
次回は、北朝霞駅から新座駅まで歩いてみよう。
赤:全走破課程
(※)かつて筆者の少年時代、夏休みに日本縦断する自転車少年が流行った。何人か朝のワイドショーでも取り上げられたりしたが、すぐ休憩したり、ゲーセンに寄ったりするどうしょうもない少年がいた。しかし、親にやらされてる感がアリアリな姿に、みな涙した。結局、その子は九州縦断で挫折した。
その故事に基づき、我々世代は、放浪中にゲーセンを見かけると、必ず立ち寄って休憩するのが暗黙のならわしとなっている。
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