カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2008年9月15日 (月)

クローバーフィールドと石川賢版ウルトラマンタロウ

クローバーフィールド HAKAISHA

をみた。制作はアメリカのドラマファンには『LOST』『エイリアス』でおなじみのJ・J・エイブラムスで、映画は『M:i:III』などもこの人の手による。全編を通して小気味よくポンポンと展開が進み、謎は謎として存在していても、ストーリーの流れが非常に分かりやすいので、飽きさせない物語を作る人だ。

(以下、ネタバレ含む)

とはいえ、ヴレアウィッチプロジェクトで用いられたハンディーカムの手ぶれの多い画像と、謎を謎のままに残す意味不明ストーリーに反発を覚えた観客も多いことと思う。

『HAKAISHA』という副題に象徴されているのだが、主人公の栄転先が『日本』であるというように、全編を通して日本贔屓なところが鼻に付く作品である。もともと、ハリウッド作品は日本でのウケ狙いかのように、ちょっと、ちょっと『日本』を出したりすることがよくある。最近ちょっとニヤリとさせられたのは、『トランスフォーマー』という映画では『こいつら(トランスフォーマー)は日本製だろ?』というような台詞があった。劇中では、家電、車=日本製という意味として用いられていたが、現実にトランスフォーマーというオモチャは日本の玩具メーカー(タカラトミー)が元であるので、正しい台詞なのだ。

ともあれ、このクローバーフィールドの日本贔屓は意味のないものではなくて、この作品は明らかに、日本のゴジラやウルトラマンなどの『怪獣』に対するオマージュ、フィーチャー的な作品である。まあ、wikiを読んでもそれらしいことが書かれているのでそれで正解なんだろうけど、もっと本質を深く掘り下げてみれば、『怪獣が現れました。人々はパニックに陥ります』ということをハリウッドの特殊技術、CGを駆使してリアルに再現してみたかった・・・ということが真のテーマなのではないだろうか。

だから、この映画のストーリーにはたいして意味がない。冒頭の意味不明ストーリーに反発を覚えた・・・と書いたのは批判として当たらないし、ハンディカムによる手ぶれ画像は、緊迫感、緊張感の再現をあくまで狙った効果なのだ。

 

しかし、それが成功したのかといえば、そうでもない。この映画が面白いのは、パーティー中に衝撃音を受けて、なんだなんだと、みんながビルの屋上に登ってキョロキョロしているとき、遠くの方で大爆発が起こるシーンまでである。そこまでは、普通にリアル。『事件か?』『事故か?』『すわテロか?』である。しかしその正体が怪獣だと分かってくると、だんだんテンションが下がってしまう。

日本の怪獣映画を見ても、ゴジラが現れて、頭上からガレキが落ちてきて、うゎーきゃー言いながら人々が逃げ回るシーンはよく目にする。特に日本人はこういうシーンによく慣らされている。ピッコロ大魔王が現れても、セルが現れても、人々は混乱して逃げまどう。だから、多くの日本人にとってクローバーフィールドの『人々はパニックに陥ります』の部分がはリアルであっても新鮮でない。特に日本は、ゴジラにせよ、ウルトラマンにせよ、怪獣達は何度も何度も何匹も何匹もやってきて、その度に街を壊して暴れ回るので、そんな現象にはもう慣れっこなのだ。

そもそも、怪獣が、街を壊して暴れ回ったとして、人々はうゎーきゃー言いながら逃げまどうであろうか・・・ もうその段階からして嘘臭い。本当にリアルにこの世の中に怪獣が現れたとして、そんな風にパニックになってしまうものだろうか・・・

 

先日、お亡くなりになった漫画家の石川賢(とダイナミックプロ)先生の著作に『ウルトラマンタロウ』という漫画がある。もちろん、TVの実写版『ウルトラマンタロウ』を受けてメディアミックスとして少年サンデーに連載された作品だ(wikiによる)。

この漫画はウルトラマンとしてありえないほど画期的であり、SFとして大人が読んでも十分面白い怪作だ(ゆえに即打ち切り)。ちょっと列挙すると、

・ タロウは最初に変身してから傷つき地球を去るまで、
 結局4匹の怪獣(奇形獣)を倒したのみ。
・ 一戦、一戦が激闘につぐ激闘。まさに死闘。
 敵は簡単に死なない。タロウは簡単に敵を倒せない。
・ 敵には敵の理屈があり哲学があり、一概に悪だとはいいきれない。
 それでも倒さざるを得ないタロウは葛藤に悩む。
・ 人が死ぬときは、首がもげ、はらわたが流れ出、脳みそがグチョグチョ。
・ 守るべき子どもも、ときに敵に回る
・ 防衛軍は出てこない。
・ 変身ポーズをとらない。変身するときは「力をくれ~」と叫ぶ。
・ お前も俺も同類なのさ・・・的、敵の断末魔
・ ウルトラの母は、太陽という象徴的存在。
・ ウルトラの兄弟は覆面をしている。
・ ウルトラの祖先は太古の地球人にに文明をもたらした存在。

どこを、どうとっても、切っても、これはウルトラマンではない。ハードボイルド過ぎる。深すぎる。むしろ、ウルトラマンタロウでなかった方が、世の中の評価が得られたのかもしれない。私はこれを小学生の時に読んだが、はっきり言ってトラウマものだった。永井豪先生の『デビルマン』などにもこういったテイストが溢れているが、この時期にコミカライズされた作品は、実はダイナミックプロの中でも怪作、傑作が多い。例えば石川賢先生なら『バトルホーク』・・・主人公は一度も変身しない。永井豪先生なら『どろろんえん魔くん』・・・観念的H(エッチ)・・・

で、『ウルトラマンタロウ』がヒーローものの常識を破って、SFとして凄いのが次の点である。

たかが、ヒーローに倒されるべき存在の怪獣がこの世にたった1匹現れただけで、世の中は大混乱に陥り、人々はもはや平和な日常生活を営めなくなるレベルにまで陥る・・・ そして、人は、うゎーきゃー言って逃げまどう前に、厄災がただ、ただ、過ぎるまで家にじっと引きこもってしまう・・・

 

そう、怪獣が出てきたら・・・ それは漫画だし、映画だし、怪獣は出てこざるを得ないだろう。しかし、人はパニックにおちいって逃げまどうだろうか・・・ いや、実際、引きこもってしまうのではないだろうか・・・ 少なくとも私は引きこもる。

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2008年6月11日 (水)

少年漫画は誰のものか

いったいいつから少年サンデーは腐ってしまったのか


先週末はショッキングなニュースが2件飛び込んできた。
まず漫画家の雷句誠氏が小学館編集部を提訴した事件を取り上げたい。

この事件、当初は紛失された原稿に対する作家と出版社との価額の認識のズレだけが争点と思われて、各マスコミの報道もそれだけに終始してしまったが、実はそうではなかった。

雷句氏の訴訟の陳述書を読んでみてビックリ(作者のブログから読める)。そこには小学館編集部の傍若無人、漫画家に対する人を人とも思わない扱いに対する恨みつらみのオンパレードで、個人名を挙げて批判し、原稿を紛失したとかしないとか、その価値が幾らだというのは、もはやどうでもよい感じになってしまっている。

また、これを“恨みつらみ”と言うには語弊がある。理不尽に虐げられる自分やその仲間、後輩達に対する義憤であり、子供たちの、われわれおっきいお友達の夢と希望を育んできた、『少年サンデー』という由緒ある栄光あるマンガ雑誌を内部から食い荒らそうとする害虫編集に対する内部告発なのではないか。。

もし雷句氏の陳述することが、あとから支持を表明した2,3の漫画家が告発することが、真実であるなら、これはあきらかにパワーハラスメントであり、たとえ小学館とマンガ家との間に契約上の雇用関係が無かったにしても、小学館側はその責任と贖罪を逃れることはできないのではあるまいか。
 
 
今回の問題の背景にあるものとして、少年サンデーの編集者達は、本当に心から漫画が好きで、漫画を愛しているのか?というのを、前々から個人的にも感じていた。

少年漫画誌は、各誌とも内容やテーマが共通していたり、絵柄が似通ってしまったりする点はどうしてもいなめないことはあり、マガジンやジャンプにも多少は共通して言える問題ではあるが、『他紙で流行ったから自分たちも!』という流れがサンデーは実に多い

例えば、古くは、マガジンで『あしたのジョー』が大ヒットし、これの終了後にサンデーで『がんばれ元気』の連載が始まる。共通しているのはボクシングだけだから、それはいい。しかし、『がんばれ元気』の『親父が死んでその夢を息子が受け継ぐ』という骨子となるストーリーは、その後『六四三の剣』『俺たちのフィールド』『MAJAR』に脈々と延々と受け継がれることになる。あるいは『タッチ』もその変形であろう。

マガジンで『金田一少年の事件簿』が連載され、ヒットの兆しを見せたころ、『名探偵コナン』の連載がスタートする。『幽遊白書』から『烈火の炎』、『デスノート』から『ロストブレイン』。不良漫画が流行れば不良漫画、ファンタジーが流行ればファンタジー。カードゲームが流行れば、自分たちもカードゲームを作る。有名で佳作と評価される作品だけでこれであるから、無名でパクリに失敗して人知れず消えていった作品の類似点は枚挙に暇がない

漫画に対して、漫画に対して、愛情も、インスピレーションも全くないから、どういう漫画を作っていいか分からない。市場調査をかける情熱もない。だからお手軽にパクる。モロパクリと分からない程度にオリジナリティを付加させるのが漫画家の仕事になる。

おそらく、漫画なんか全く読まない、アニメなんか絶対見ない、で、一流進学校へ進み、一流大学を卒業し、純正培養されたエリート達が小学館に入社して、少年サンデーの編集を拝命しているのだ。

 

次に、原作物というより、最近はメディアミックスが異常に多い。最初から映画化、ドラマ化が決まってる作品を漫画にする。悪いこととは言わないが、はっきりいって、漫画はそれらの映画、ドラマの為の宣伝の道具に過ぎない。他紙でよくある『漫画がヒット→ドラマ化→映画化』の流れの真逆を行っている。しかも、そういう漫画は大概つまらない。逆効果にしか過ぎない。メディアミックスが単純に儲かるから・・・でスタートした企画としか思えない。

 

最後に、これが一番腹が立つのだが、編集が遊びで作ったとしか思えない漫画に我慢がならない。

具体的には、『やきたて!ジャぱん』の若きパン職人を目指す主人公・・・という漫画が、ダジャレのリアクション芸を披露するだけの漫画に変貌した点。なぜ、いい漫画をあえてつまらなくするのか・・・意味不明過ぎる。海苔の佃煮の『ごはんですよ』や銀河鉄道999の『メーテル』なんかをそのまま登場させたりもしている。事前に編集が了解をとりつけないとできないことだろう。いち新人漫画家が思いついたネタでできるようなことではない。

また、NHKでドラマ化もされた『ワイルドライフ』という漫画は、情熱あふれる獣医がペット、野生動物の命を救う・・・という漫画だが、これも当初はいい漫画だったのに、ストーリーに全く関係なく、『毛生え薬』の効能を実験した回や、BNFと呼ばれるカリスマネットトレーダーを登場させて、株式の仕組みを解説したりしだす・・・これも意味不明過ぎる。興ざめすぎる。これらも、いち新人漫画家が思いきでできるようなことではない。

 

どう考えても、編集者が遊びで作ったネタであろう。

 
確かに、これらは、大人が酒の肴にして読むには十分面白いだろうと思う。周りの“大人”の評判もなかなかいいかもしれない。いや~変わった漫画だね! 新機軸だね! 面白い試みだね!


しかし、本来の読者である子供の心に何を残すのか?と問いたい。
少年漫画は、誰のものなのか?
と問いたい。



私は最近、ブックオフで、とても感動する光景に遭遇した。

それは、小学生低学年くらいの子供たちが、『キン肉マン』の単行本(古本)に群がって、実に熱心に読んでいたのである。流行の『ワンピース』でも『NARUTO』でもなく、『キン肉マン』にである。

30年前の自分がそこにいた。小学校の教室で、ジャンプを必死に回し読みしたあの頃を思い出して、涙が出そうになるくらい感動した。

この世に生まれて数年の小学校低学年児童のネットワークに、どうしてキン肉マンがひっかかったのかは分からない。しかし、時代を超えて、世代を超えて、小学生男子を引きつける魅力が、『キン肉マン』には確実にあるのだ。

その光景を、作者ゆで氏、編集アデランスの中野氏がご覧になられても、おそらく私と同じか、同じ以上に感動したことだろう。おそらく、作者冥利、編集冥利に尽きるとはそういうことだろう。そして私自身、『キン肉マン』のファン冥利に尽きる思いがした。

 
少年漫画の編集者なら、そういう漫画を、自身が担当する漫画家に描かせるのが仕事ではないのか。



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2008年4月16日 (水)

2008自分の中のマンガ大賞

私は常日頃、TVは競馬中継以外全く見ないが、マンガは読む。おそらく常人の3倍以上は読んでいる。週にコミックス5冊は読む。しかし、家にコミックスを並べて同じマンガを繰り返し読んだりすることはない。あまたの作家のいろんなジャンルの作品をできるだけ雑多に、好き嫌いなく、数多く読むことにしている。

そして、年1回、『自分の中のマンガ大賞』を決めるのだ。

ちなみに、過去の受賞作は次の通りだ。

2006年:彼岸島
2007年:シグルイ


(機会があれば、この2つの作品についても、何か書いてみたいと思う。)

そして、今年、はやくも受賞候補となる作品が出現した。

『岳 (石塚 真一著)』である。

実は、権威ある『自分の中のマンガ大賞』の候補に選ばれる前に、誰が作ったのか、いつ作ったのか、なんだかよく分からない賞・・・『第1回 マンガ大賞』を受賞している作品なので、ご存じの方もいるかと思う。私もどこかでそれを小耳にはさんでいたから、この作品を手にしたのだ。

STORYはかいつまんで話せば、山で遭難した人を主人公が救助に赴くという、『海猿』や『め組の大吾』なんかと感じのよく似た、ぶっちゃけ、よくあるレスキューものだ。当然、設定として主人公は風変わりではあるが、一皮剥けば超人なみ、アルピニストの野口さん並のタフガイである。どんな窮地にも、どんな過酷な状況にも、一切愚痴をこぼさず立ち向かっていく。

ただ、よくある少年漫画と違って、100%救助、救命が成功するというわけではない。。『ビッグコミック』連載だからといって、例の角刈りの殺し屋のように99.4%成功したりはしない。そこには、救える命、救えない命がある。時には救助が全然間に合わず、要救助者は既にミイラ化している場合もある。

そのため、感謝され、喜ばれるばかりではない。時には理不尽にも、さげすまれ、ののしられ、恨まれる。人間ドラマの悲喜こもごもである。大人が読者のマンガだから、それは別に驚くべきことではないだろう。もちろん、死に直面した人が救われるというのは、ホロリとさせる感動的な話ではある。この作品も、そういう話が大半を占める。

しかし、このマンガはそういうただのヒューマンドラマではないのだ。私もそんなことで栄えある『自分の中のマンガ大賞』の候補に選んだりしない。


この作品が、他のレスキューものと、完全に一線を画すのは、私自身、上手く説明できないが、次の二点である。

一つに、主人公は、滑落し、落石に打たれ骨が折れ、肉が砕け、半死半生の、あるいは凍死寸前、飢餓状態寸前の要救助者のもとにたどり着いたとき、まず決まってこう声をかける。

「よく頑張ったね」と。

そう言われた方は、どういう気持ちになるだろうか・・・ 「ハ、はぁい・・・ ワ、ワタシ、頑張りました!」・・・違うだろ・・・そう問われてなんて答えたらいいだろうか・・・ 登場人物たちは、結局みんな無言で返すしかない。そもそも遭難で疲弊し、「わ~い、助かった!」と喜んでいられるような体力は既にないのだ。 

この「頑張ったね」という問いかけは、登山のベテランの遭難者、軽装で山を舐めてるとしか思えない若者、誰に対しても変わらない。しかも、生者にも限らない。既に亡くなって、ミイラと化し、あるいは腐乱してゾンビと化した者にさえ、そう語りかける。その意味がよく分からないのだ。ただ、手を合わせるというだけではないのだ。


次に、そうして、運良く助けられた要救助者の多くはヘリコにのって山を降りていくことになるわけだけど、主人公は彼らに手を振って「お~い、また山においでよ~」と声を掛ける。今の今の今まで死にかけていた人達にである。まつ毛が凍り、滑落して手足があさっての方角にねじ曲がり、わずかに動く方の手で遺書を書こうとしている人たちにである。普通の感覚なら、助かっても、まず一生山に近づきたいとは思わないだろう。「山は素敵で素晴らしいところだから嫌いにならないで。また遭難しても、僕が助けてあげるし~」ということか? 絶対違うだろう。この意味も、私にはよく分からない。


それが、娘さんも惚れるという「山男」というものなのか? 違うのである。このマンガの世界の中でも、主人公だけが特殊なのである。他のレスキュー隊員たちは、「死に場所を探してたのか?」とか実に冷たい。あるいは、軽挙に行動して、しかるべく遭難した登山者達に対して、烈火のごとく叱ることさえある。救助する方も命がけ、仕事とはいえ超迷惑をかけられているのだから、それは当然だと思う。それが現実的な感覚であろう。こういう反応はよく分かる。むしろ、その方が感情移入できる。主人公だけがいつまでもほがらかで、優しく、無邪気なのだ。

もちろん、マンガだから・・・ と言ってしまえばそれまでなのだが、この理解できない主人公の言動が、複雑な読後感をもたらしている。それも、作者が意図してそうなっているわけではなさそうなのだ。実に、普通に、さりげなく、毎回、毎回、一話完結のこのマンガの中にちりばめられている。主人公の性格描写として書かれている。それ自体がテーマのマンガではない。だからその意図が解説されることがない。このモヤッと感がストレートでないから、このマンガを受け入れられないという人も中にはいるかもしれない。


それが何を意味しているのか、宗教なのか、哲学なのか、考えてみても、考えてみても、よく分からない。

それは主人公がただ、極度のヒューマニストだから・・・というわけでも絶対になさそうなのだ。物凄い数の生と死と直面してきたはずの主人公だ。極度のヒューマニストであると同時に、実は、極度のシニカリストでもあるのかもしれない。その両極の極致が生み出したキャラクターなのかもしれない。


ただ、その答えの出しようは分かっている・・・ 気がするのだ。


そう、自分自身で山に登ってみることだ。答えはきっと、そこにあるのだろう・・・

ちょうど、季節もよくなってきた折だから、高尾山にでも登ってみるか? しかし、私は極度の方向音痴だ。中学の時、学区外の友達ん家行って、帰り家とは逆方向に向かって自転車をこぎ続け、3つくらい離れた市まで行って、深夜になってしまって大騒ぎになったことがあるくらいだ。独りで登山なんかしたら、絶対遭難しそうな気がする・・・


とはいえ、その答えを知りたいなら、山に登りなさい・・・


ああ、それこそが、作者の意図していることなのかもしれない。

だったら、すごいね・・・ つうか、高尾山登りてぇ・・・

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2008年3月25日 (火)

コミックレンタル

近所のTUTAYAがコミックレンタルなんて粋なことを始めた。自分は無類のマンガ好きだが、漫喫はあまり好きじゃないので1、2度しか利用したことがない。Winnyとかは使ったことがない。というか、一般人よりも法律はより守らなければならない立場にあるので論外だ。というわけで、これまで読みたくても読めなかったマンガが沢山あった。しかし、1冊50円で合法的にマンガが読める

とりあえず、石渡治氏の『Odds』を借りてみた。石渡氏といえば、代表作はなんと言っても『B・B』でしょう・・・熱い漫画を描く人だ。

それはともかく、この『Odds』という作品は以前から、名前だけは知っていた。読売新聞に紹介されたことがあるからだ。テーマはズバリ『競輪』。実は、競輪協会とタイアップしていて、競輪のPRも兼ねているからだ。読めば、競輪の仕組みがやや冗長だが、一から分かる仕組みになっている。

読んですぐに、『立川競輪場』が写真で出てきて笑った。「ココ知ってる!」・・・ しかも、おにぎりとか、串揚げとか食って「安くてウメェ~」とか言ってるしw

まあ、コレ読んで勉強して、今度立川競輪場へ行ったときは、それなりに、予想して車券が買えるようにはなろう・・・と思う。

 

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、暇だったので、左のサイドバーに今年の重賞成績を載せてみた。自分でもうっすら勝ってる気がしてましたが、すげぇ勝ってるじゃねぇか・・・w なんで、これで日々の暮らしが豊にならないんだろ・・・ それは平場を買うからだ! 重賞と最終だけ買ってれば、すごいことになってたかもしれないのに・・・ それは無理なのだ。

ギャンブルは、予想に根拠のあるレースよりも、根拠のないレースの方が楽しい。それは仕事してお金を得ることよりも、宝クジで得たお金の方が何倍も嬉しいのと同じだ。自分の“能力”で得たお金よりも、“運”で得たお金の方が何倍も楽しい。

イヤ、それは違うでしょ・・・と思ったあなたは、まだ青い

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2008年2月27日 (水)

ガンダム00が面白い

今のガンダムは当然、ファースト、Zの生みの親である、原作兼監督、富野由悠季氏はそうたいそう、関わっていないのだろうけど、平成の世ににガンダムの制作を任されることになった監督は大変だ。

 

ショパンの事情もあってか、今のガンダムに求められるのは、まず、第一に「総方向にウケるガンダム」であろう。そのターゲットは、利益率の高いオモチャ、ゲームの購入層の中核を為すお子様層、キャラクター事業を効果的にバックアップする婦女子層、そして、結局見捨てることができないのが、メディア、プラモ、雑誌等を薄く補佐し、あらゆるガンダムに対する批評の核となるわれわれ『大人男子世代』に対して、受けいられる作品作りが求められている。

実は、われわれ『大人男子世代』は、ZZ以降から、Seed、Seed Destinyに至るまででの長い過程の中で、ほぼ見捨てられてしまった感が強い。われわれ大人男子世代は、以前、単純にファーストが好きというままで完結してしまっている。これは比較的自由になる金を持った層を取り込めないのは、非常にもったいない話である一方で、エヴァンゲリオン、デス・ノートを例に出すまでもなく、社会現象を巻き起こすほどのブームになった作品は、われわれ大人男子世代に対しても、作品にぐいぐい引き込む力を持っている。

本作品(ガンダム00)は、そんな『大人男子世代』に対して、再びガンダムに回帰させる意図をもった作品でないかと思う。

しかし、「総方向にウケるガンダム」とは、ちょっと考えてみても、かなりの難題である。
なぜなら、各層が求める方向性がてんでバラバラ。みんな違っているからだ。そこでまず、我々、『大人男子世代が熱狂したファーストガンダム、Zとは、何であったか』についてちょっと考えてみよう。

 

ファースト、Zのテーマは共通している。それは、『少年は成長する。大人は成長しない』ということである。当時の80年代の少年達は、同世代の少年が成長する物語に、自分を重ね合わせ熱狂したのだ。それは少年ジャンプやドラゴンクエスト等のRPGブームとも共通するテイストである。

アムロは最初メカオタクのおやじにもぶたれたことのない甘ったれた“坊や”であったが、戦争を通じて出会いと別れを経験し、戦士として覚醒し、恋人(ララア)を自らの手で殺してしまうという悲劇に直面し、最終的には自分のおさななじみを自分より身体、能力に劣る同僚に寝取られてもそれをやさしく見守ってあげられるようなシニカルな青年に成長してしまった。

赤いきつねのシャアは、最初から最後まで純粋なであり続けた。悪であっても嫌な奴でないから、上司には見込まれ、部下には慕われ、敵からは恐れられる八方美人でありながら、最初から最後まで復讐者というキャラクターに拘泥し続けた。最初から大人であるゆえ、最後までなにも変わらかった。

カミーユは、両親を殺され、恋人を殺され、登場人物中、いち早く戦争が悲劇しか生まないものであるということに目覚めつつも、自身が登場人物中、最も効率的、効果的な殺人マシーンであるという矛盾に耐えきれなくなって、最後には精神を崩壊させてしまった。

 

そもそも、全てのガンダム作品に共通するテーマは『戦争』ということである。物語の作り手が、まともな倫理観の持ち主であった場合、『戦争』、『人を殺す』という課程を通しては、ねじ曲がった成長しか遂げられないという結論にどうしても達してしまう。三流のアメリカのアニメや映画のように、戦争に勝ちました。ハッピーハッピーは、この日本では許されない。あり得ない話なのだ。それは、古今東西、一流の漫画、アニメ、全てに共通するテーマでもある。戦争を肯定するような話で大成した作品はただの1本もない。少年は成長するが結局ハッピーエンドもない。

だったら、なぜ『戦争』をテーマにするのか?

視聴者が熱狂するからだ!

 

ファースト、Zという作品は、『少年は戦士として成長する』というテーマに熱狂させ、しかし、『戦争を通しては人はまともに成長しないんだよ』と諭した作品であるといえる。

戦争、人殺しは、人を熱狂させる。しかし、日本人としてはそれを否定しなければならない。だからこそ、登場人物は『少年』なのである。現在の日本の刑法では、未成年はいくら残酷、残虐な犯罪を犯そうと、死刑にされることはない。それは、人を殺すまでにいたる課程を導いてしまったのは、至らせたのは、大人、社会が追うべき責任の一端がそこにはあるという通念、思想がそこに横たわっているからに他ならない。少年のうちなら、まだ矯正可能であるという希望がそこにある。なぜなら、少年は成長するからだ。戦争だからではなく、少年だから、人殺しを許されるのだ。だから、戦争、人殺しというテーマで作品を書く場合、主人公は少年でないと、あとあと、矛盾が起こり、物語が破綻してしまう。

そして、『デス・ノート』を評した時にも書いたが、正しい倫理観を伝えなければならないというのは、一流の物語の書き手として当然求められることであり一流である証でもある。夜神ライトは最初から『悪』であった以上、惨めな敗北、哀れな最期を遂げてしまうの結末は、当然作者の頭に最初からあった「絵」なのだ。読み手の子供達を倫理的に間違った方向へ導いてはならないのは絶対条件である。

ゆえに、成長する少年が戦争に巻き込まれるというパターンでなければ、ガンダムは成立しない

 

 

しかし、このテーマは、すこぶる婦女子達には評判が悪かった。未成熟な女にとって、男とは『成長する』というものでは何も“感じ”ないのだ。男は最初から完璧でなくてはならない。総方向にウケるガンダム作りにあって、これは婦女子層を取り込むために絶対譲れない条件である。

よって、『ガンダム00』の登場人物、ガンダムマイスターと呼ばれるガンダムのパイロット達は、最初から完璧な戦士として登場せざるを得なかった。成長しない。それでは大人男子世代を取り込めない。から、われわれ大人男子の多くは、最初から毛嫌いしてしまった人も多いことと思う。しかし大人男子世代は婦女子層よりも許容範囲は広い。成長譚でなくとも、取り込める余地は十分ある。

そこで、あらたに、大人男子世代を取り込むためのキーワードとして『リアル』が与えられることとなった。メカニックや絵的なリアルでない。もろ、アメリカ、EU、中国の3強を想像できる関係を物語に取り入れてしまった。それが生み出したものはズバリ『殺伐』だ。あり得る設定の、あり得ないす荒みきった設定、これまでのアニメとは何かが違うぞ・・・という感覚、期待は、実は最初からあった。

最初から戦士として登場した主人公たちは当然成長しない。成長しない以上、それは『大人』であり、シャアと同じで絶対だ。いかなる場合も、人殺し、殺戮者は肯定されえない。もし作者が一流であれば、その結末は、夜神ライトと同じく、惨めで、哀れな最期でしかありえない。それが分かっていながら、その結末は当然だと思いながら、主人公サイド、敵、すべてが、高河ゆんの味付けの萌え顔キャラクター達に自信が持てないでいた・・・

 

違った!

実は、それすら、『しかけ』の一部であったのかもしれないと思わせるような方向に物語が展開しはじめた。

 

物語の序盤から、微妙に綻びはじめる主人公サイド。倫理観、微妙に剥き出される主人公サイドのダークサイドは気になっていたが、それは過去のガンダム作品、ガンダム以外の作品にも見られないことではなかった。可愛い顔をしたキャラクター達が残酷であればあるほど、残虐であればあるほど、そのショックははかりしれない。しかし、これは『ひぐらしのなく頃に』でも表現されてきたことだ。しかし、あれははっきりと、“あり得ない”残酷さでもあったが、それでは、何も目新しくはない・・・

しかし、それは私の思い過ごしに過ぎなかった。
ガンダム00が過去のアニメ作品と比べて、凄いのは、アメリカ、EU、中国をそのまま物語に取り入れたこれまでのアニメとしてあり得ないリアルさをベースに、悪いことはしないであろう可愛い顔のキャラクター達が、微妙に、本当に微妙に、現実に起こりうるレベルの残酷さ、残虐さを繰り出して、そこから至る結末も、本当に微妙に、現実に起こりえるレベルの残酷さ、残虐さであることを表現している点だ。過去のどのアニメと比べても、このさじ加減が、ギャップが、メチャクチャリアルで見事としか言いようがない。

ある意味、戦争というものが、いかに残酷で無惨ななものであることを表現したアニメは、過去『はだしのゲン』以外にあったであろうか・・・? 『はだしのゲン』は最初から重い物語であることを分かっているが、ガンダムはこう展開するとは思いもよらなかった。この盲点が、一言、“素晴らしい”の一言、である。

 

まだ視聴されてない方のために具体的な内容はぼかさるをえないので、詳しく書けないのが歯がゆいが、『ガンダム00』は大人男子の視聴にも耐えうる一流の作品だということは断言できる。“00”とは『2000年以降の100年間の近未来』を表しているのだろうが、一方で、『殺人許可(=戦争)』ということも表しているのだろう。

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2008年1月19日 (土)

『ひぐらしのなく頃に』にいまさらながらハマる

かといって、何か世間的に大それた事件を起こしたい訳でもない。むしろ、この熱烈なアニメのファンで、そういう事件を起こしてしまった、世間の少年少女達に興味があるのだ。

現在18話まで視聴したが、この段階で何かを語るには、準備不足であろうし、中途半端なことを書いてみて世間様の反感も買いたくない。そもそも、何かをしたり顔で語ったとして、パズルのピースがハマった時のように、誰もが納得、ああ、なるほどそうか、という結論が出てくる訳もないのでしょうが・・・

 

平成20年1月19日の予想

京都09R 06番エイシンインパール 鞍上:小牧 5,000円
07/05/19に新潟芝1800mを勝ち上がったときの時計が、稍重ながら前週、前々週の500万を上回る。

そこから3走全く走っていないが、裏を返せば意味不明の凡走。休養を挟んで仕上がりは良好なようなので、いきなり変わっても。鞍上の小牧騎手も穴騎手として申し分なし。 相手16番


京都11R 01番サイキョウワールド 鞍上:川原 10,000円

06/12/24に阪神芝1400mを勝ち上がった時の時計は、前週の重賞阪神Cを勝ったフサイチリシャールより0.3速いもの。

前走ようやくハナに立つ競馬も1600mは長い。5勝2着9回という戦績が示すように、走ってないのは去年の4走のみで、今週馬なりで坂路52秒、週中には49秒台の時計は復活の手応え十分以上。相手10番


中山07R 09番エバンジェリスト 鞍上:横典 5,000円

06/09/10札幌ダ1700mを勝ち上がった時の時計は、前日500万戦と同じ。

休み明け、去勢明けの分だけ人気を落としそうだが、後藤厩舎の休み明けはいきなりからが鉄則で、トウカイポイント(マイルCS勝ち)がそうであったように、去勢は当たり前というかむしろ好材料の厩舎。ましてや鞍上横典は鞍上後藤以上に確実な勝負駆け。相手15番


中山12R 02番デルマアン 鞍上:北村宏 5,000円
07/05/27東京芝1600mを勝ち上がった時の時計は、前日500万を勝ったケイアース(現1000万)より0.4遅い。

強調材料は、叩き2走と鞍上北村騎手の空気読まなさっぷりくらいしかないが、上の3レースで当たらなければ、運を天に託すしかない。相手6番、12番

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