クローバーフィールドと石川賢版ウルトラマンタロウ
をみた。制作はアメリカのドラマファンには『LOST』『エイリアス』でおなじみのJ・J・エイブラムスで、映画は『M:i:III』などもこの人の手による。全編を通して小気味よくポンポンと展開が進み、謎は謎として存在していても、ストーリーの流れが非常に分かりやすいので、飽きさせない物語を作る人だ。
(以下、ネタバレ含む)
とはいえ、ヴレアウィッチプロジェクトで用いられたハンディーカムの手ぶれの多い画像と、謎を謎のままに残す意味不明ストーリーに反発を覚えた観客も多いことと思う。
『HAKAISHA』という副題に象徴されているのだが、主人公の栄転先が『日本』であるというように、全編を通して日本贔屓なところが鼻に付く作品である。もともと、ハリウッド作品は日本でのウケ狙いかのように、ちょっと、ちょっと『日本』を出したりすることがよくある。最近ちょっとニヤリとさせられたのは、『トランスフォーマー』という映画では『こいつら(トランスフォーマー)は日本製だろ?』というような台詞があった。劇中では、家電、車=日本製という意味として用いられていたが、現実にトランスフォーマーというオモチャは日本の玩具メーカー(タカラトミー)が元であるので、正しい台詞なのだ。
ともあれ、このクローバーフィールドの日本贔屓は意味のないものではなくて、この作品は明らかに、日本のゴジラやウルトラマンなどの『怪獣』に対するオマージュ、フィーチャー的な作品である。まあ、wikiを読んでもそれらしいことが書かれているのでそれで正解なんだろうけど、もっと本質を深く掘り下げてみれば、『怪獣が現れました。人々はパニックに陥ります』ということをハリウッドの特殊技術、CGを駆使してリアルに再現してみたかった・・・ということが真のテーマなのではないだろうか。
だから、この映画のストーリーにはたいして意味がない。冒頭の意味不明ストーリーに反発を覚えた・・・と書いたのは批判として当たらないし、ハンディカムによる手ぶれ画像は、緊迫感、緊張感の再現をあくまで狙った効果なのだ。
しかし、それが成功したのかといえば、そうでもない。この映画が面白いのは、パーティー中に衝撃音を受けて、なんだなんだと、みんながビルの屋上に登ってキョロキョロしているとき、遠くの方で大爆発が起こるシーンまでである。そこまでは、普通にリアル。『事件か?』『事故か?』『すわテロか?』である。しかしその正体が怪獣だと分かってくると、だんだんテンションが下がってしまう。
日本の怪獣映画を見ても、ゴジラが現れて、頭上からガレキが落ちてきて、うゎーきゃー言いながら人々が逃げ回るシーンはよく目にする。特に日本人はこういうシーンによく慣らされている。ピッコロ大魔王が現れても、セルが現れても、人々は混乱して逃げまどう。だから、多くの日本人にとってクローバーフィールドの『人々はパニックに陥ります』の部分がはリアルであっても新鮮でない。特に日本は、ゴジラにせよ、ウルトラマンにせよ、怪獣達は何度も何度も何匹も何匹もやってきて、その度に街を壊して暴れ回るので、そんな現象にはもう慣れっこなのだ。
そもそも、怪獣が、街を壊して暴れ回ったとして、人々はうゎーきゃー言いながら逃げまどうであろうか・・・ もうその段階からして嘘臭い。本当にリアルにこの世の中に怪獣が現れたとして、そんな風にパニックになってしまうものだろうか・・・
先日、お亡くなりになった漫画家の石川賢(とダイナミックプロ)先生の著作に『ウルトラマンタロウ』という漫画がある。もちろん、TVの実写版『ウルトラマンタロウ』を受けてメディアミックスとして少年サンデーに連載された作品だ(wikiによる)。
この漫画はウルトラマンとしてありえないほど画期的であり、SFとして大人が読んでも十分面白い怪作だ(ゆえに即打ち切り)。ちょっと列挙すると、
・ タロウは最初に変身してから傷つき地球を去るまで、
結局4匹の怪獣(奇形獣)を倒したのみ。
・ 一戦、一戦が激闘につぐ激闘。まさに死闘。
敵は簡単に死なない。タロウは簡単に敵を倒せない。
・ 敵には敵の理屈があり哲学があり、一概に悪だとはいいきれない。
それでも倒さざるを得ないタロウは葛藤に悩む。
・ 人が死ぬときは、首がもげ、はらわたが流れ出、脳みそがグチョグチョ。
・ 守るべき子どもも、ときに敵に回る
・ 防衛軍は出てこない。
・ 変身ポーズをとらない。変身するときは「力をくれ~」と叫ぶ。
・ お前も俺も同類なのさ・・・的、敵の断末魔
・ ウルトラの母は、太陽という象徴的存在。
・ ウルトラの兄弟は覆面をしている。
・ ウルトラの祖先は太古の地球人にに文明をもたらした存在。
どこを、どうとっても、切っても、これはウルトラマンではない。ハードボイルド過ぎる。深すぎる。むしろ、ウルトラマンタロウでなかった方が、世の中の評価が得られたのかもしれない。私はこれを小学生の時に読んだが、はっきり言ってトラウマものだった。永井豪先生の『デビルマン』などにもこういったテイストが溢れているが、この時期にコミカライズされた作品は、実はダイナミックプロの中でも怪作、傑作が多い。例えば石川賢先生なら『バトルホーク』・・・主人公は一度も変身しない。永井豪先生なら『どろろんえん魔くん』・・・観念的H(エッチ)・・・
で、『ウルトラマンタロウ』がヒーローものの常識を破って、SFとして凄いのが次の点である。
たかが、ヒーローに倒されるべき存在の怪獣がこの世にたった1匹現れただけで、世の中は大混乱に陥り、人々はもはや平和な日常生活を営めなくなるレベルにまで陥る・・・ そして、人は、うゎーきゃー言って逃げまどう前に、厄災がただ、ただ、過ぎるまで家にじっと引きこもってしまう・・・
そう、怪獣が出てきたら・・・ それは漫画だし、映画だし、怪獣は出てこざるを得ないだろう。しかし、人はパニックにおちいって逃げまどうだろうか・・・ いや、実際、引きこもってしまうのではないだろうか・・・ 少なくとも私は引きこもる。
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